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展覧会テキスト_木村桃子

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袋を積む

ここ数年は時間について考えながら作品を作っている。
何かを積むという造形行為のなかでも最も単純な方法は蓄積された時間と行為の記録ともいえる。

今年3月に研修という形で海外に行きひたすら観たいものを観にいったのだが、積まれて生まれた造形物と
そこにかけられた人間の時間に想いを巡らす。

人生をかけてひとりで作られた石積みの城、突貫で作られたため崩壊する煉瓦積みの城、日々住民が積みあげ
高くなるゴミ袋の山

パリに到着した3月8日は年金制度についてのストライキが行われていた。到着早々に駅が封鎖され仕方なく徒歩
移動すると街なかでは割られたガラスが散乱し、遠くでは火の手が見えるなど初日の夜はスト行為が激しかった
が、以降滞在中に街なかで暴動に遭遇することはなかった。
ただ、最初は気づかなかったが、日に日に街にゴミ袋が増えていっていた。
ゴミ収集業者のストライキによって街中に設置されているゴミ箱に収まらなくなり、路上に黒いゴミ袋が積まれ
ていった。

帰国後もさらに積み上がるゴミ袋の様子はSNSで拡散され、時間と共に意思や不満が増幅していくことが可視化
されているようだ。
現地にいたら、異臭や鼠など衛生面の問題に直面しそれどころではないだろう。
山積みにされたゴミ袋が放火されたことは帰国して間も無くニュースで知った。

事の発生時に現地で見たものが、その後は海を隔てた遠い地から匂いも触感も感じられない画面越しに、人々の
抗議の産物としてリアルタイムに造形が膨れていく。
幾ばくか生々しさが排除された「積まれていく袋」は時間と共に立ち上がる造形物として魅力を感じ、背景に
ある諸問題を忘れていることに罪悪感を感じた。

実物(それを取り巻く環境)と画面を通したつるりとした視覚情報との差は「彫刻」を作る時に感じるホンモノへ
の届かなさを思い起こす。
この届かなさはいつも苦手で、届かせようとすることも必要がないと思うこともある。
でも、石ころやもたれかかる袋の重みを下から上に表面を辿って彫ることはできた。
遠回りだが、ひとつひとつの具体的な形を積み上げて、行為と時間を積むことは届かなさの一端を埋めるひとつ
の手段にはなるかもしれない。

2023.6.18 木村桃子

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