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展覧会テキスト_広瀬里美

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私はずっと「存在」というものが気になっている。
東日本大震災の翌日のニュースで多くの人間があっけなく死んでいく様を見て、生きているはずの自分の輪郭が
ぼやけていく感覚があった。あの人と自分の違いは何だろう。そして今この時代でも毎日どこかで誰かが死んで
いる。私は自分が存在していることが不思議でたまらず、存在の確固たる何かを探そうとして、きっと彫刻をや
っている。

しかし存在に確固たる理由などないらしい。全ては偶然やら運命やらの、途方もない確率の積み重ねの結果であ
り、地球の生態系の中での代謝の流れの一部でしかない。生きていることに理由なんかない。けれども存在に理
由などなくとも存在していること自体は確固たる事実である。今この瞬間、私が、あなたが生きていることは事
実である。これは私が実材を用いて制作する理由に直結すると思われる。
感覚的に素材として土を使っているのはどうやら理由がある。実材にも様々あるが、私にとって木は木のまま、
石は石のままで良いらしい。存在として既に完成しているように感じる。しかし、土は自然物として存在してい
るにも関わらず、水のように流動的であり明確な形態を持たない。そして焼いて固めれば石のように恒久的に形
を留めることができる。また、木や石は道具を介さないと形をつくることはできないが、土は素手ででも形成が
でき、ある種身体の一部が素材と一体化するような感覚にさえなれる。しかも土は大きく言えば地球の表層を覆
う要素であり、超自然的歴史をはらむ素材であるといえる。つまり土は地球での大きな要素でありながら、身体
で直接形成することができ、流動的故に瞬間的な心身の衝動を受け止め、形として留めることができる実材なの
である。

私はそんな素材で「存在」の形象化を試みる。
物質として存在するということは場所、空間、量を伴う。そしてその中には非物質的なものも存在していると感
じる。それは命や魂と呼ばれるものなのかもしれないが、私はその内的エネルギーを多くの自然物に感じる。
人間が生まれる前から存在する、木や石や山や海などの生命というものを根幹から支えているようなものほど
そのエネルギーを強く感じることができる。いわゆる超自然的存在というものかもしれない。
それぞれ形は違えど質としては同じような、「存在」の本質みたいな何か。私はそれに惹かれ、畏怖し、焦がれ
ているのである。それは人間の中にも存在しているはずであるが、それは他の自然物に比べて大変乏しく感じる
しかし、例えば山や海を前にして一人としてではなくただの一個の生命として自分を自覚したとき、私は自分の
中にも超自然的存在を感じることができる。その時感じるのは、自分の人格と命自体は別のものだということで
ある。命自体に人格や人間性はなく、根源的超自然的存在と繋がっている。私はそのエネルギーを形にしたいと
思っている。それが「存在」の本質に繋がっていると感じているから。そしてそれを物質的存在として形にでき
たなら確固たる「存在」の証明として成らないだろうか。

私の彫刻に具体的な意味や理由などないが、無意味であるものが存在する意味を持てばいいと思っている。
ただ存在することが許される、在るようにただ在ることが許されればいいと思っている。
寄る辺とは、身を寄せる所・頼りとする所、という意味である。
私がつくりたいものは無意味な存在の寄る辺なのだと思う。

2023年5月 広瀬里美

世界を愛したいと思いました。
存在することを肯定したいと思いました。
私が生きていることを認めたいと思いました。
在るように在ることが美しいと心の底から思いたいと思いました。
海の前では一人の人間も一つの命でしかないように
山の中では一人の人間も石ころや虫と同等でしかないように
石や木や土がそこに在り続け、生命を育みそして帰る場所にもなっているように
人も、ただの命としてそこに只在れる時、何か本来の「存在」を放つのではないかと思いました。
この土くれは一人の人間が「存在」をつくろうとした痕跡と蓄積。
海や山や石や植物、そして人が持つ「存在」というエネルギーの形象化の試み。
なんとも大袈裟で、無謀な挑戦。
しかしこれらをつくっているとき、私は私をやめて、少し命に近い存在でいられる気がしているのです。
何かを夢中でつくっているとき、ひたすらに山頂を目指して山を登るような、故郷の海を求めてひたすらに泳ぐ
ようなそんな本能に似た衝動とエネルギーを感じることができるのです。
それは意味性を持つ以前のもので、意味を持たないが故にただ存在するということが極めて私には重要に思える
のです。無意味な存在が在ることに意味があり、そしてそれは私の命が在るように在ろうとして藻掻いた形であり
私は無意味な存在を肯定し愛することで、世界を愛せるようになりたいと思いました。
どこか遠くの存在の寄る辺を手探りで探しています。
醜さも、美しさも、心も体も受け入れて、在るように在れれば良いのに。

純粋に存在しているということに憧れている。

2023年5月 広瀬里美

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