Somewhere Sometime Something
先史時代の壁画や彫刻について書いている本を読んでいると、
その時代と現在の興味の対象にあまり変わりがないことに気づく。
人間、植物、動物など。私たちは、言葉を話す前から、この世界に
対して興味を持ち、それを彫刻や絵にしていた。
何が彼らにそれらを理解、表現させたのか。
私が何かを作る時に考えることを突き詰めていけば、
この世界とは一体何か?この世界の中にいるわたしは何なのか?
という子供の頃に感じ、考えるような根源的な問いにぶつかる。
そしてその問いは、子供時代だけでなく現在も続いているし、私だけでなく
過去・現在・未来で多くの人々が一度は考えることではないだろうか。
この世界を知るため、またはこの世界の謎の一端に触れるために
動物や人間を彫刻している。そして、世界の中にいる私の中にある
世界に対しても、同じように考え制作をしている。
自分とは一体何か?世界が持つ謎も、私を動かす体の中の物質も、
目に見ることはできない。だから、彫刻や絵にし、捉えている。
Somewhere Sometime Something =「どこか・いつか・なにか」
この根源的な問いを持つ人々との繋がり、また、私が何かを作る時に、
「今・ここ」だけではなく、過去・現在・未来のどこかの人々と繋がることが
できるのではないかと思い、展示のタイトルとした。
2022.10 亀元 円
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