今年は自分的にも世間的にもいろいろとある年だなー
思えば、正月に帰省していた嫁を迎えに
南相馬市へスーパーヒタチで行って
クルマで東京へ向った時に通ったところが
先日の震災で無残な姿になった映像を見たとき時間と場所の
整合性がとれなかった
新年の挨拶は門前仲町の深川不動と隣りの富岡八幡宮
以前よりお世話になっている赤坂の豊川稲荷
そして恒例になった横須賀の走水神社
廻りすぎ!?
いつからかこのコースが定例になってきて
ボクの実家へも二人で挨拶に行き
たまには年寄りの面倒も見なければと足が弱くなった親父のベッドを
2階から1階へ降ろすことに
戸建の家は年寄りには上下の往復が大変になって来たよう
母親はまだまだ元気なので2階で過ごすとのこと
二人とも80歳代なのに子供が頼りないと元気にしていてくれている
これも親孝行??
両親の存在が無くなる感覚が全くなく・・・
それでは50を過ぎた子供が大人になっていないではないか
と自問自答
みな、元気なことは良いこと。。。と納得させる
そしてアジアカップの優勝に熱狂して毎日寝不足
現実に戻ればギャラリーの運営や今後の方針など小さいなりの苦労
なども頭の片隅に置きながら、、、でも何とかなるさ的な
生来の能天気さも同居して
そんな時期にtwitterやらFacebookやらBlogやらと
急に目覚めて三日坊主を返上すべく
なにやら書き留めていく
そんなソーシャルメディアに目覚めた直後の大地震
丁度ギャラリーに居た時間なのでテレビなどのメディアがないので
ネットの情報が最初だった
ラジオ情報がネット情報の後追いをしていたのにビックリ
ここからネットにしがみ付く
そして南相馬の惨状をPC画面で見ることに
その混乱がまだ収まらない時
叔母が亡くなったと聞いたのが自分の誕生日を前にした23日
親父の唯一の妹
親父のショックは大変だったようだった
余り多くの思い出を持っていなかったが世話になったことはいくつも有ったはず
27日の誕生日に告別式
忘れやすいから何時までも忘れないようにと叔母が合わせてくれた
親父の青春時代のセピアな写真を発見
叔母が大切に持っていたようだ
初めて見る青春真っ盛りの親父と祖父母や叔父たち
誰かが世を去ると昔を思い出しながら、そしてそんな時に必ず
秘蔵の写真などが公開される
良く保存されていたと思い自分に置き換えてみる
果たして時代を読み解くような写真が残っているのだろうか
昔は親父が良く写真を撮ってくれていた
どこに有る?
折角、デジタルが簡単になった時代なので
これを機会に整理しなければな
自分の誕生日が3月と云うこともあって
正月が明けてからのひとつの目安が誕生日になる
年度納めも近いことから昔から一年の中のひと区切りとしてきた感が
そして4月になると全て新しい時節になると
その新しい平成23年度が始まって直ぐの訃報
スーチャンこと田中好子さんが21日に乳がんでなくなる
55歳
奇しくもこの一報に接したのもtwitterだった
嫁が見つけてビックリ
テレビは放映を見られなければ過ごしてしまうが
文字情報のtwitterはRTがイッパイ上がってきたので
後からでも情報を確実に得ることができる
今年、何かの囁きでtwitterなどのソーシャルメディアに打ち込むことになって
いろいろなことが広範囲に情報として入ってくるようになった
楽しく元気になることばかりなら尚良いのだが
いち早くいろいろな情報を得られ我々が取捨選択できるような
そんな時代になりつつあるのだなーと実感した
もう4月も終わりと云えるが未だ4月だとも
今年は自分にメディアが増えたこともあって一日に得る情報量が多くなった
そんな毎日から例年より感覚が、未だ4月と思わせるのかも知れない
やらなければならない事はまだまだ沢山ある
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