地震のあった3月11日以来ブログが書けなかった。嫁の実家が今まさに世界中に有名になった福島県南相馬市!
11日の地震があってからは実家の義父の安否が心配で連絡をとるも、固定電話は通じず、携帯も混乱していて全く通信のすべが無かった。
ギャラリーは展示作品は全く問題なく、資料棚がガタガタと激しく揺れていたが、これも中身が落ちることはなかったが、東京生まれ東京育ちの私としてもかつて経験のないゆれ方と時間だった。
私の両親は松戸の戸建なので、先ずは松戸へ電話!これも中々繋がらない。携帯も同様。
そこで普段から母親も使っている携帯メールへ。
これは少したってから成功して、母親からは返信があった。
家はかなり揺れたらしいが特に大きな損害はなかったと。
そうこうしているうちに先にギャラリーから家に戻っていた嫁から電話があり、私達のマンションは全く問題なかったとのこと。グラスボードの中のグラスやボトルも全く動いた気配がなかったとのこと。そして我が家の娘(ネコ)2匹のうちお姉さんネコはナント!ソファで寝ていて、嫁があわてて帰宅した時に初めて起きた様子。。。。嫁の帰りが何時に無く早かったので起き出して伸びをする始末(^_^;)
しかしと云うか妹ネコはベットの下に隠れていたようです。
妹は普段から避難訓練をしており、その成果が実践できたようです。
そんなこんなで身近の安否を確認してから更に南相馬へ連絡を試みるも全くダメでした。
そこで、ギャラリーは倒れるような物ははずしたり寝かしたりして急遽、休廊することにした。
それからはtwitterで地震や南相馬などを検索して問合せなど始める。
そんな中、いち早くtwitterに南相馬のハッシュタグが出来て現地の方からの情報が上がり始めた。
これはかなり早く、助かりました。
まだ、テレビなどは具体的は状況は放映されていないときだったので情報を整理しながらツイートに参加していた。
この状況の中から個人的なお願いだが南相馬の義父の家の近辺情報を求めたところ、直ぐに返事があり、少なくとも津波の被害にはあって無いとの情報をくれた。
更にこの情報を裏付けるように市会議員の方からも大まかでは有るがとの但し書きで道路などの災害は認められるも津波は届かなかったとの情報!
この時点でもまだ、テレビ、ラジオなどは状況を伝える状態に無かったけれど、何となく大まかな安心は持てることができた。
それからやっと義父の近所の方とのメールが受け取れて義父の無事が伝えられた。
11日から3日3晩twitterにしがみつき情報の整理をしているうちに段々状況が見えてきてテレビもやっと画像が出てくるようになると津波の被害の大きさに身震いをした。
そんなこんなで4日もたった時についに義父と電話が通じ。。。。嫁の寝ずの心労もよそに結構な平常心で無事を話していたようだ。
今回はtwitterの威力をまざまざと見せられ、そしてありがたかった。
今ではtwitterの中の情報にも危ういものも含まれているようだが、発信元や前後の情報を落ち着いて読んでいるとある程度は整理が出来てくるもんだと少しこの世界に入れたかなーと。
今まで何かと情報は降りて来る物だけを信じていたが、今回の震災でtwitterやFacebookやインターネット上の情報、テレビ、ラジオの情報を色々読み聞きしたなかで自分なりに選択できるようになった感はあった。
東日本沿岸地域は北は青森から茨城、千葉あたりまで今後の復興には大変な労力が伴うと思うが私達も出来ることを出来るだけやって行きたいと思う。
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